歌はいいねぇ



・どっかで「『シンエヴァ』上映終了後に『残酷な天使のテーゼ』を合唱しよう」という呼びかけがあったと聞きましたが、あのEDで最後に『残酷な天使のテーゼ』が流れてきても、それはそれでアリかもと思いました。ワリとマジで。


・今回の感想をあれこれ書いてるうちに自分の中で色々と整理が出来て、改めて気付く点がいくつもあったのですが、その1つは旧作OPが大好きという事。作品内容を反映しているようで聴き手に解釈を委ねる歌詞に、思わせぶりなカットや複線が散りばめられながら、スピーディで格好良い映像と共に流れる『残酷な天使のテーゼ』に、私にとってのエヴァの魅力はだいたい集約されてるなぁと思わされた次第です。人生で一番カラオケで歌った曲です。


・TV版では何度も流れた有名なBGM『DECISIVE BATTLE』とそのアレンジである『THE BEAST II』ですが、新劇場版ではそれぞれヤシマ作戦と初号機覚醒時にしか使われませんでした。まぁ、『DECISIVE BATTLE』の前奏は、他の場面でも使われたり、『シンゴジラ』に出張もしてましたが。個人的には「エヴァと言えばコレ!」というメロディだったので、シンでもあの音は使って欲しかったなぁとちょっち残念。


・ついでに言うと、『残酷な天使のテーゼ』のメロディーを使ったBGMは記憶の限りでは無かったと思います。TV版との差別化という意図の結果かもしれませんが、全てのエヴァの包括と完結の作品であるならば、『残酷な天使のテーゼ』の要素はあってくれた方が嬉しかったです(何なら『魂のルフラン』も)。


・それから、このページで旧作の好きなところを挙げてるのですが、旧作の好きな部分を語る上でもう一つ外せないのが、第弐拾四話「最後のシ者」。エヴァの音楽を語る上で、この話は避けては通れないと思います。


・物語の終盤も終盤、激しい戦いを経て主人公サイドが色々とボロボロのところ、限界ギリギリまで追い詰められている主人公の心を優しく癒してくれる友達が現れたと思ったらそれが最後の敵で、守らないといけない陣地の奥まで悠然と到達されて、人類の命運が瀬戸際も瀬戸際。ここで流れるBGMが「第九」で、最後は、傷ついた自分を救ってくれた友達を人類の敵として殺さなければいけないという極限の葛藤と、「歓喜の歌」


・初見時の「第九」が流れてからの展開は、目の前で起きている状況とのミスマッチが凄過ぎて、とにかく惹き込まれました。静止した画面と流れ続ける「歓喜の歌」「こんな凄い演出があるんだ」と驚嘆した衝撃は未だに忘れられません。エヴァはオマージュが多い作品なので、もしかしたら元ネタがあるのかもしれませんが、少なくとも私にとっては人生初の体験でした。


第八話と甲乙つけがたい、そしてエヴァの音楽を語る上で外せない、エヴァの魅力満載の話。エヴァでいっちょ前にクラシックを知った気になった輩は、「ハレルヤ」より「第九」の方が印象深いはずです(はい!)。そして、故に『Q』で「第九」が流れた時は、伝統芸能のような安心感と一緒に、当時ほどの驚きが無い事への残念な気持ちがありました。


・展開と音楽をあえてミスマッチさせるのは、これ以降も『EOE』の「甘き死よ、来たれ」とか『破』の「今日の日はさようなら」等がありますが、良く言えば「エヴァお馴染みの演出」とも言えますが、個人的には「第九」がキマり過ぎたせいで以降この成功体験に囚われ気味な気がします。


・話は変わりますが、好みはあれども『VOYAGER』の歌詞がファンのエヴァに対する心情とシンクロする部分があるのはワリと分かり易い話だと思いますが、宇多田ヒカルが新劇に提供した3曲も同様にシンクロする部分が結構あると思います。普通に聴く分には「歌い手」から「君」への歌ですが、「歌い手」を「自分」「君」を「エヴァという作品」として捉える事も出来るんじゃないかな、と。


「もしも願い一つだけ叶うなら 君の側で眠らせて どんな夢でもいいよ」

「ただもう一度会いたい」

「It's only love」

「最近調子どうだい? 元気にしてるなら 別にいいけど」

「Everybody finds love In the end」

「もう二度と会えないなんて信じられない」

「どんなに怖くたって目を逸らさないよ 全ての終わりに愛があるなら」

「初めてあなたを見た あの日動き出した歯車」

「もういっぱいあるけど もう一つ増やしましょう 忘れたくないこと」

「I love you more than you'll ever know」

「あなたが焼きついたまま 私の心のプロジェクター」

「誰かを求めることは 即ち傷つくことだった」

「燃えるようなキスをしよう 忘れたくても 忘れられないほど」

「この世の終わりでも 年をとっても 忘れられない人」

「吹いていった風の後を 追いかけた 眩しい午後」


こじつけと深読みはエヴァの呪縛に囚われた者の運命(さだめ)であり、エヴァというコンテンツがここまで求められ続けた大きな理由の一つであると思います。原作側が与えてくれる燃料だけでは飽き足らず、火のない所に煙を立たせて回ってる放火魔の集団な気もしますが。


・最後に、歌に関してはこちらも併せて読んでみていただけると幸いです。


序文
旧劇について
新劇場版について
旧作と新劇の比較について
綾波について
アスカについて
ミサトについて
最後に
オマケ



『プロフェッショナル』完全版の『庵野秀明ドキュメンタリー』を見ての追記なのですが、最後に『残酷な天使のテーゼ』が流れたんですが、『エヴァのドキュメンタリー』だったら正解だけど、『庵野秀明のドキュメンタリー』としては違う気がしました。


・エヴァって時代とか社会情勢とか色々な要素が混ざりあって肥大化(勿論私もその中の歯車の一つ)庵野本人は勿論関係者の誰にもコントロール出来ない巨大な現象になってしまい、だけどその中心に居たので全ての感情を向けられるハメになってしまった為に、「庵野の殺し方を話し合っている」様にショックを受けて自殺を考えるまで追い詰められてしまったワケなんですよね。作品に振り回されるって意味では師匠の宮崎より御大の方が話が合うんじゃないかなぁ。


・だから、『残酷な天使のテーゼ』がエヴァで一番有名な代表曲であることは揺ぎ無い事実ですが、新劇とは区別した『新世紀エヴァンゲリオン』及び『残酷な天使のテーゼ』の今日の地位や知名度の形は、本人として納得行っていない部分があったとしても不思議じゃないと思うし、だからこそ、今度こそ納得行く形でエヴァを終わらせる為に、スタジオ立ち上げて新劇を制作することにしたワケです。


・制作から主題歌を渡されるというのは一般的なアニメとしては至極当たり前だと思いますが、庵野に限らず制作者が自分のディレクションの圏内からワリと遠い場所にあった曲が「〇〇と言えばこの曲」と言われても違和感があると感じたとしても不自然な話ではないと思うので、『新劇場版』で『残酷な天使のテーゼ』の音が使われなかったのは、ましてEDで流れたりしなかったのは、庵野が周りに流されず自分の意志を以って辿り着きたいと思う『エヴァの終着点』には使わなかったというのは納得が行く話です。


・ただ、庵野のエヴァに対する感情とは別に、受け手にも受け手なりのエヴァに対する感情があるワケで、少なくとも私は庵野ほどエヴァに人生を振り回されず、旧作も普通にエンタメとして肯定的に楽しんでいたので、『残酷な天使のテーゼ』が「エヴァというコンテンツを象徴する曲」と思っています。


・なので、『シンエヴァ』のラストで流れても良かったと思う気持ちは変わらないのですが、あの番組は『エヴァ制作のドキュメンタリー』ではなく『庵野秀明というクリエイターのドキュメンタリー』なので、そのラストに流すのはちょっと違うかなぁと思った次第です。


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